この事故は忘れない 風化させてはいけない


1997年以降へ

 



北海道の国道・道道についての連絡先      


崩落直後の写真

1996年2月10日土曜日朝8時頃、豊浜トンネル(国道229号線 古平−余市の中間地点)の上部岩石が大崩落しトンネルの入口から40mにわたって巻出天井部分を押しつぶした。

この事故で、余別発7:05小樽行きの路線バスと乗用車1台が巻き込まれ乗車していた20名が亡くなりました。

懸命の救出作業にもかかわらず、同月16日158時間目にして1人目 翌日17日夕方までに全員の20名が遺体で収容されました。

被害に会われた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともにご遺族の皆様に心からお悔やみ申し上げます。


6月現在のトンネルの状況は、事故調査結果がまだ出ていないので復旧工事が行われていません。
そのため豊浜トンネルの使用が出来ず、すぐ横にある旧豊浜トンネルを、信号による片側交互通行で使用しています。


又この事故は、救出までの時間がかかり過ぎたこと・マスコミの報道の在り方・行政の危機管理能力・危険道路の把握等の、いろいろな問題をさらけ出した事故でも有りました。

皆様の通勤・通学・仕事に使われている道路はだいじょうぶですか?

今一度確認してください・・・・・二度とこんな事故が起きないように。



署名活動

異業種交流グループ古平21(代表 加我 孝芳)は事故後 住民の命と生活を守るため、生命線である国道229号の安全を訴え、多くの協力を通じて古平町3,807人・その他市町村 を合わせ14,273人の署名を集めました。

1996年5月16日に署名を町長に手渡し、6月4日には、町長らと上京し、中尾建設大臣・建設省橋本道路局長に口頭をもって、署名要望事項の早期実現を強く陳情要望し、岡部北海道開発庁長官には、直接署名を手渡しました。



旧道を歩く

古平21では「危険なイメージが広がった豊浜トンネルは別ルートの検討が必要だ」と言うことで、1996年6月23日 に17人で、1963年に開通する以前に使われていた旧余市山道を歩いてみました。

この道路は、セタカムイトンネル古平側入口から山側に南下、標高250mまで登り余市町豊浜町に抜ける全長8.1km の道路です。

現在のこの道路の状況は、道幅は車1台分で、車(4WD必要)が入れるのは1.5kmくらい、その先は曲がりくねった坂道が続き草木が肩のあたりまで生い茂り、手でかき分けて歩いた所も数箇所あり、がけ崩れの跡も2箇所ほどありました。

38年間使われていなかったわりには、けっこう楽に歩ける道でした。


約2時間半で旧豊浜鉱山跡に出ました。
車なら豊浜−セタカムイトンネル間は3,4分の距離、いかにこの道路が私達の生活に大切なものかを痛感させられました。

今後も別ルートについて、古平21では考えていきます。


道は出来るか!!

1996年6月25日 新聞報道で、豊浜トンネル「代替道」道がルート探しにとりかかる。
という記事が掲載されました。

さっそく、道庁目安箱(道庁が、ニフティやPC−VANから道民の声を電子メールで受け付ける)に掲載記事について詳しい内容を聞いたところ、7月3日に返答をもらいました。

−−前略−−「余市町、古平町、積丹町の内陸部には、道道、町道、農道、林道など車の通行が可能な道路の他に、登山道や昭和30年代までに使われていた旧国道、古い時代のものと考えられる踏み分け道などがあります。  しかし、現在ほとんど使われていないこれらの道の現況は不明な部分が多いことからこのたび、緊急にこれらの全体的な把握をするため、資料作成の調査を行うこととしたものです。
 今後は、この調査結果を踏まえ、通行の可否、通行を可能にする方策など、車が通行できる可能性について早期に検討したいと考えているところです。」−−後略−−

この様な内容でした。

私にとって、たいへん希望の持てる内容でした、是非この別ルートが、実現化されるよう、皆で力を合わせ、がんばりたいと思います。



平成8年8月10日現在の状況

事故より半年がたった、1996年8月10日現在の状況を報告します。

現場付近の不安定な岩を8月中に落とし、9月より事故のあったトンネルを応急工事(鉄骨・発泡スチロールを使った工法)をして、年内の開通を目指しています(仮復旧)。

本復旧は、現在の仮復旧トンネルの安全性・現在のルート・迂回路ルート等を検討し年内に結論を出すことにしている様です。

この夏・秋ごろ開通予定されていた、積丹半島未通区間も
危険箇所が数箇所あり、今だ開通のめどが立っておらず来年になる可能性もある様です。

11月1日開通しました

夏の積丹観光も昨年と比べ、交通量で約40%減少となっています、いち早い復旧と安全宣言が求められている状況です。



事故調査委の最終見解

1996年9月14日、トンネル崩落事故の原因を解明する目的で、開発局が設置した事故調査委は、最終(6回目)の見解を開発局に提出した。

結論は、今回の事故の原因でもある亀裂の確認・崩落の予知は学術的にも不可能であった、又トンネルの掘削が崩落につながる可能性は極めて小さかったとして、開発局の責任には言及しないままの最終報告であった。

開発局側は、事故調査委の報告書を検討し、できるだけ早く局側の考え方を示す、とコメントした。

今後開発局は、遺族補償・本格復旧ルート選定・慰霊碑建立・報告書の、事故再発を防ぐための提言の実践 等の課題に移りたい考えである。

しかし、一部新聞等によると、文案作成は局主導で行われたとの報道もあり、開発局による調査委設置のプロセスに問題があったのではないかとの疑問の声もある。

北海道警察は、独自に刑事責任の追及で捜査を進めているが刑事責任の追及までは、かなり時間を要するようだ。

上記 新聞報道を参考に記載



トンネル新ルート

某業界新聞の記事によると、開発局が新トンネルの掘削を来年中より始め、4年後開通見通しの方針を固めたと報じられました。

新トンネルは、事故トンネルの余市側(崩落現場の反対側)数百メートルをそのまま使い、そこより山側に向かって堀り、旧道を歩く で掲載した地図のセタカムイトンネルを通らずに古平側に抜け、国道229号線につながる予定です。

これが最終のルート決定なのかは、解りませんが情報として掲載しました。




10月13日現在の様子




1996年10月13日現在の豊浜トンネルです
信号による片側交通規制が続けられ、年内
の仮復旧(事故トンネルを修復し、事故前
の状況に戻す)に向けて工事が進められています。



トンネル左側面


左側から見たトンネル工事の様子です。
奥の鉄骨の部分が、崩落により潰された所です。




豊浜トンネル12月11日開通

開発局の発表によると、年内復旧を目指していた豊浜ンネルが 12月11日に開通するそうです。



事故現場での最後の法要

崩落事故遺族会(210の会)は12月10日に事故現場最後の法要を行います。

12月11日に仮復旧の形で車両が通行することが可能になり、そのため事故現場での法要が今後出来ないので、来年2月10日の事故1周忌法要を繰上げて行うそうです。

私自身も毎日この豊浜トンネルを利用するので、事故現場の上を走ることになります、ご遺族の方々にしてみれば、さぞ辛いことだと思います。



そしてあのトンネルが仮復旧


1996年12月11日 午前6時30分、豊浜トンネルが仮復旧という形で通行が可能になりました。

事故から10ヶ月が経過しました。

トンネルを通行する車の数台は、クラクションを鳴らしながら事故現場を通っていたそうです、地元の方は皆複雑な心境で 走行しています。

開発局は年内中に本格復旧ルートを決定するそうです(トンネル新ルートで書いたルートに決まる可能性が大)、是非安全な道路を作ってください。



私達は貴方の作った道路の上しか
走れないのだから!!



本格復旧ルート決定

1996年12月17日開発局が本格復旧ルート決定し発表しました、決定ルートは”トンネル新ルート”で掲載したルートに近いものでした。

現在仮復旧した、豊浜トンネルの途中から山側に新トンネルを堀り、セタカムイ(古平方面へ向かって豊浜トンネルの次にあるトンネル)トンネルの途中に抜ける1.2Kmのルートです。

遺族側の要望が強かったルートで、4年後の完成予定を目指すそうです。

私の個人的な意見ですが、このルートの他にもう1本、代替道となる道路が必要だと思っています、11月28日に道庁目安箱で頂いた回答では、まだ検討中との事でした。
長期的な計画になるかも知れませんが、是非 代替ルートを実現化してほしいものです。


 

北海道警察・刑事責任を問えるか

1996年12月29日北海道警察の委嘱で、専門家が調査していた鑑定結果が捜査本部に提出されました。

提出内容は公表はされませんでしたが、北海道警察では、専門家鑑定結果・開発局の提出書類・地域住民の聞取り等を総合して、開発局の過失責任の有無を問えるのかどうかを判断する様です。

しかし、最終的な結論が出るのは、まだかなり先になるようです。

この事故で旦那さんを亡くされた奥さんが、今日当店へ買い物にいらしゃいました、「今年は1人分だからねぇ・・・」と寂しそうに言われた言葉が耳に残ります。





皆さんの使われている道路は安全ですか?

忘れないで下さい!!


この事故を

皆さんの愛する人達が

この様な事故に遭遇しないためにも。

 

 

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