この事故は忘れない 風化させてはいけない

 


北海道警察・立件へ向かう

1997年2月7日 北海道警察は、崩落前、事故現場付近に度々落石が起こっていたのに、開発局が適切に措置していなかったとみて刑事責任を問う方針を固めました。


事故から1年

1996年2月10日に起こった豊浜トンネル崩落事故から1年が経ちました、犠牲になられたご家庭では1周忌の法要が営まれています。

報道関係の車が、古平町のあちこちに見受けられました、報道の車を見ると1年前を思い出してしまいます。

現在、仮復旧という形でトンネルは何事も無かったように交互通行が可能になり、私達町民の生活も事故前と変わらない日々になりました。

この事故は、いったい誰に責任があるのでしょう?
そして、この道路を生活の為に使用している私達は、これから何をすればいいのでしょう? 

1年という節目を迎え、今 もう一度考えようと思っています。


これでいいのか?

1997年8月25日午後2時頃、豊浜トンネル事故と同じ229号線、約170k離れた島牧村第2白糸トンネルで岩盤崩落が発生しました。

8/26日午後9時現在、車両等が巻込まれたと言う発表はありませんが、トンネルの巻だし部分を押し潰した映像は、豊浜トンネル事故と同じ様に映りました、崩落した土砂は豊浜の約2倍の量との報道です。

このトンネルは、豊浜トンネル事故後行われた緊急点検で最も高い危険な箇所として、落石防止の金網と巻だし部分の衝撃暖和用の発泡スチロールを設置していたとの事です、しかし今回の崩落にはまったく効果がありませんでした。

今回の崩落は豊浜トンネルと同じように、まったく予想の出来ない事だったのでしょうか?
事故後の管理者の対応はどうだったでしょう?
豊浜の教訓は・・・?
あれだけ指摘された危機管理能力は・・・?

この道路は、日中1時間10数台程度の僅かな交通量です、しかし住民には病院や買物に利用する貴重な道路、まして国道なのです。

たいへんな復旧に関る作業をしている方々に2次災害が起きぬよう、万全を期しながらも早急な復旧を切に希望します。


1998年8月27日の豊浜トンネル

98年8月27日の豊浜トンネルです

トンネル上部の発泡スチロールの上に土が盛られ、奇麗に芝がはられています。

まるで何も無かった様に・・。

第2白糸トンネルでは、未だに車両等が巻込まれたかどうかの確認が出来ていません、TVニュースで、開発局は豊浜トンネル事故の時と同じ様に予測出来なかったと言ってました、どのような状態なら予測出来るのでしょう?

予算等の問題があるなら、国は危険箇所の対策費を別会計として是非、予算化して欲しいものです。



第2白糸トンネル復旧ルート

開発局は、第2白糸トンネル崩落土砂の撤去をあきらめ(人の被害はなかったと判断)、99年4月までに新ルート(山側掘削)でのトンネル着工を発表しました。

付近住民の皆様は、まだまだ不便が続く様ですが、是非 安全な道路を完成してほしいと思います。



事故から2年

1998年2月10日豊浜トンネル崩落事故から2年が経ちました。
新ルートである豊浜新トンネルは、2001年秋完成を目指し工事が進められています。
建設グラフ記事

それと同時に 危険個所防災工事の為、余市−古平間は、98年3月24日まで午後10時から翌朝5時まで通行止めになっています。
町民にとって事故から2年という時が経過しても、この工事作業を見ながらの通行は、忘れたくとも、忘れられないのが本音です。
この事故を受け、北海道内の危険個所調査では、国道142ヶ所が対策を要すると確認されました、すべての対策工事を完了させるのにまだ約5年の月日が掛かるそうです。
是非 1日でも早く対処をしてほしいものです。
そして、二度とこの様な事故が起こらぬ様、確実な崩落の予測技術の確立が実現出来ます事を切に希望します。
遺族の方々、観光に携る方々、常にこの道路を生活の道として利用する方々、
さまざまな意見があります、しかし、共通する意見は一つ安全な道です。


開発局元幹部書類送検

1998年6月23日、余市警察署は、開発局元幹部2名を札幌地検に書類送検しました。
1991年12月初旬に事故現場付近で約300tの落石があったのに放置した、もしこの時点で周辺調査、及び危険防止策をとればこの事故は起きなかったとの疑いです。
ただ、札幌地検が起訴まで持込めるかは未定で、起訴までにはまだ難しい判断が多いとの事です。
91年の崩落個所は、大崩落したすぐ隣の部分で、豊浜トンネルの旧道側(海側)に落ちました、私も落ちていた岩盤は見ています、確かにこの時点で、道路管理者が大事と捉えれば何らかの対処は出来たのではと考えられます、いずれにせよ20名の命を奪ったこの事故、ご遺族の訴訟もまだ続いています、そして、付近の道路も安全対策の工事が現在もなお続けられています建設グラフ記事、私たちにとって、まだまだ鮮明な記憶として残り、忘れられない状況が続いています。



セタカムイ防災祈念広場

豊浜トンネル古平側1つ手前のトンネル、セタカムイトンネル脇にセタカムイ防災祈念広場が完成しました、広場内には駐車場・トンネル防災のための展示パネル等のある施設・トイレ・休憩用のベンチがあります


開発局元幹部不起訴処分

2000年3月30日、開発局元幹部2名を札幌地検に書類送検した判決は、嫌疑不十分で不起訴処分に決定ました。
起訴の理由の
小崩落は、崩落事故の予兆とはいえず、小崩落を契機に安全対策を取っても、これだけで岩盤崩落の予見は困難であるという事でした。

2000年10月20日札幌検察審査会は、トンネル建設当時の事情や維持管理面で発生した人災の疑いが濃いとして、同地検に再捜査を依頼、しかしこれも後の2001年1月31日、再び不起訴となりました、これによりこの事故の刑事責任追及は、時効が近づいている事もありこれですべて終了したようです。



新豊浜トンネル開通

2000年12月8日、当初計画されていました新豊浜トンネルが片側交互通行ではありますが開通しました、このルートは遺族の方々の強い要望で事故現場の上を通行せず、手前のセタカムイトンネルと事故のあった豊浜トンネルの、共に中間部分を新しいトンネルで繋ぎ、1本のトンネル(2,228メートル)にした物です。

遺族の方々もこのトンネルが出来たことにより、事故現場へは陸からは道がない為、船を使って行く事になります。

もし最初からこの様なトンネルだったら、この事故は起きなかった事でしょう、犠牲の上にある安全、深く考えさせられます。

 


豊浜トンネル賠償訴訟

2001年3月29日、豊浜トンネル賠償訴訟に最終判決がでました、この訴訟は事故責任は国側にある、国の責任をはっきりさせたいという裁判でした。

しかし結果は、国への賠償金の支払いを命じましたが、争点であるトンネルの設置・管理に対する国の責任には判断を避けたものでした。

裁判所は、非常用通報施設の不備を認め、国にこの部分に対し賠償をせよという判決でした、新聞には被告側に落ち度があり賠償責任が認定されれば、損害賠償請求権が成立し、落ち度のさらなる追求は必要でないという民事訴訟の限界と報じられています。

豊浜トンネル事故から5年、この裁判の終了と新豊浜トンネルの開通で、一段落というような形となりました、余市-古平の229号線では、がけ崩れの危険性のある所に新しいトンネル工事が始められています、道路には救急時の連絡先の表示や道路情報盤が設置されました、事故のあったここだけが優遇される事なく、全国すべての危険個所が1日でも早く改善され、又技術的にも危険の予知が可能となる事を切望し、あらためてこの事故で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。


 

 


皆さんの使われている道路は安全ですか?

忘れないで下さい!!


この事故を

皆さんの愛する人達が

この様な事故に遭遇しないためにも。